梟的解剖論

Orpheus公式では書ききれなかった曲の論評を書き溜めています

318073 zAsso - 南武線

今回はzAssoさんの名曲、「南武線」について書きたいと思います。

www.orpheus-music.org

 

 

 

作者について

zAssoさんはOrpheusを代表するユーザーの一人です。

「4年後のわたしへ 2013-17」(184543)や「Respect you chorus mix」(188789)などの楽曲に代表されるように、誰が聞いても共感できるような曲が多い為、彼に影響を受けたユーザーも多くいるでしょう。

どこか悲哀的で遣る瀬無いような氏独特の世界観を体現した歌詞はさながら、曲の構成的な面で見ても秀逸で、どの作品もとても聞き心地が良い点も彼の特徴の一つでしょう。

また、登録制前から利用していた古参ユーザーの一人でもあります。

 

曲について

この「南武線」は氏の代表曲の一つとも言える曲だと思っています。

zAssoさんの曲の中でも群を抜いて遣る瀬無いような内容で、どうしようもないぐらいの憂いを帯びた曲なのですが、それでも何か光を感じるような、ありふれていて何か独特な匂いがするような世界観が特徴です。

「KOMURO」つまり、小室進行が有効的に使われている作品であり、この進行が悲しさを上手く演出しています。悲しい作品を作りたい場合はこの作品に倣ってこの進行を使ってやるとそれっぽくなるかもしれません。

また、「途中儚い」という進行も遣る瀬無さを上手く演出しており、こちらはBメロ(「少しずつ 離れてく〜」と「稲田堤 登戸〜」の場所)で効果的に使われています。

面白い事に、この作品は同じBメロでも構成がガラッと変わっています。「少しずつ 離れてく〜」の場所では男女の掛け合いとアップテンポな「ロック2」のドラムパターンが使われていますが、「稲田堤 登戸〜」の場所では一転して落ち着いた「静かな(バスドラム)」が使われ、ディストーションギターの音が咽び泣くように奏でられます。

何を思ってzAssoさんがそのような構成にしたのかは分かりませんが、これが非常に良い効果を出していて、毎回このBメロの部分で泣きたくなってしまいそうになります。

伴奏楽器の設定も面白いです。「アコースティックギター(スチール)」と「シンセブラス1」しか使われていないのですが、音形を展開ごとに変えており、無駄を一切排除したような完璧な作品に仕上げられているようにも思えます。

リズム形も弱起が効果的に使われており、さらにこの楽曲の味を出しています。

 

歌詞について

歌詞は本当に秀逸です。

一本の路線だけでここまで情感を演出する事ができる事にまず驚きました。

南武線」というのは立川駅から川崎駅までを結んでいる路線で、利用者が多い路線の一つでもあります。

傍から見てみればごくありふれた路線の一つなのですが、そんな路線でここまで表現できるとは、脱帽です。

南武線は僕に夢を運ぶ

夢と現実を繋ぐ路線

大都会に似合わぬ6両が

揺れる車内 物思いにふける 

 「大都会に似合わぬ6両」という部分に思わず共感してしまいます。南武線ユーザーの方なら恐らく毎回の如く疑問に思っていると思いますが、何故か南武線には6両の列車しかありません。非情な事に、通勤・通学ラッシュの際には場所に見合ったような数が乗車してくる為、度々混雑時に圧迫されすぎて息ができなくなってしまう時すらあります。川崎もその近辺も「大都会」と言う名に相応しい程人口が多いのですが、何故南武線は6両なのかと私も乗車している際に度々考えてしまう事があります。

「揺れる車内 物思いにふける」と言う部分も中々面白いです。どんな思いにふけっているのかはこの時点ではまだ分かりませんが、「揺れる車内」と言うワードがまるで心の中までも表しているみたいに見えます。ありふれた行動に見えて実は何か意味があるような、氏の独特の詩感がやはりここにも表れています。

府中本町 降りる人だかり

階段降りて 奥のホームを目指す

小走りしなきゃ 間に合わない

黄色いストライプ めがけて 

すぐに風景が浮かび上がるような一節ですね。

「小走りしなきゃ 間に合わない」「黄色いストライプ めがけて」ごくありふれた風景ですが、やはりここにも人間的な深いものを感じさせられます。

まるで自分だけ社会から置いていかれたような、そんな孤独感や焦燥感が滲み出ているのでしょうか。どちらにしろ、何処と無く生き辛さと言うものをこの節から感じられます。

少しずつ 離れてく

都会の喧騒 多摩の奥深くへ

繫ぎとめる 絆はもうないと

悟ったあの日 虚しく

多摩の方面に向かうにつれて、今までに見ていた現実から少しずつ離れていって夢想的な風景になっていってるのでしょうか。実際にここでドラムがアップテンポになって、まるで夢を見ているような雰囲気を感じます。

多摩には確かに「稲田堤」や「中野島」などといった比較的のどかな駅が多く、大都会から少し逃れて小さい田舎に行ったような気分にもなります。

「繫ぎとめる 絆はもうないと 悟ったあの日 虚しく」の部分には毎回思わずため息が出そうになります。回想しているのでしょうか。これについては後にも詳細には語られませんが、喪失感が何処と無く感じられます。

南武線は僕に現実を運ぶ

夢と現実を繋ぐ路線

どんな辛い事があろうとも

僕のこと いつも見ててくれる

 何気に最初の一文が「夢」から「現実」に変わっています。

「多摩の奥深く」を「夢」と見るならば、多摩を抜けて都会に入っていっていることを演出しているのでしょう。

最後の一文には光を感じますね。

辛い事があっても見捨てる事なく、夢も現実も運ぶ路線、と言った所でしょうか。「繫ぎとめる絆」がなくなってしまった人の唯一の助けとも言えるような気がします。

夢は醒める 都を越え 現実へ

震える手 必死に抑えながら

バイブレーション 声が聞こえない

降りてかけ直す 死の宣告

この節には毎回唸ってしまいます。

全体的にスピード感があり、まるで考える余地もないまま現実に引き戻されているような無情さを感じます。

「降りてかけ直す 死の宣告」というのも素敵です。やはり生き辛さと言うのをここでも感じられます。

なぜよりによって「死の宣告」なのでしょうか。やはり、恐怖的なものなのでしょうか。それとも突然かけられた電話だったからなのでしょうか。この一節は非常に考えさせられるものがあります。

稲田堤 登戸

武蔵溝ノ口 過ぎれば

武蔵小杉 立ち並ぶマンション

明るみに出る 現実に目が眩む 

 どんどん都会の方に近づいていって、現実に戻されていっているのでしょう。

ドラムパターンも一回目とは一転して静かになり、さっきまで一緒に歌っていた男性パートはいなくなり、代わりにディストーションギターの咽び泣くような音が響きます。

毎回この一節には泣きたくなってしまいます。

「明るみに出る 現実に目が眩む」からどうしようもなさがとても感じられて、思わず耳を塞ぎたくなります。

南武線は僕に現実を運ぶ

夢と現実を繋ぐ路線

川崎は今日も雨降りですか

府中は薄日が差していたのに 

やはり遣る瀬無さを感じさせられます。

ため息の声が思わず聞こえてきそうなぐらいどうしようもなく辛く無情な現実をここでも感じられます。

川崎方面の「現実」はきっと府中方面の「現実」とはまた違った重苦しい現実なのでしょうね。

列車が止まればいいのになあ

僕も息を止めてしまいたい 

最後の一節は特に辛いです。

遣る瀬無さが特に感じる一節にも思えます。

「僕も息を止めてしまいたい」と言う部分から見えるように、こんな辛い日々が幾度もなく続いているのでしょうか。

いつか辛い日々を乗り越えられればと思わず願ってしまいそうになります。

 

最後に

この曲は非常に単純な構成でできていて尚且つ、秀逸な作品なのでOrpheusを始めたばかりの人に是非聞いてほしい一曲でもあります。

氏の曲はこんな感じの遣る瀬無い世界観が多いので、嵌る人は嵌るかもしれません。

この曲を機に追いかけてみるのも良いかも?